「この絵画は本物なのかな? 壺は価値があるかな?……もしかしたら、高額で売れるかも!」
そんなふうに、リサイクル店や質屋へ美術品を持ち込むお客様。多くの場合は、値段がつかないかインテリアとしての格安価格になるなど、残念な気分になってしまうことが多いと思います。というのも、美術品は「鑑定」が必要な領域。買取店ができるのは「買取査定」であり、売れる価格・売っていた実績をもとに買取価格を決めること。「鑑定」と呼ばれる美術品の真贋をやっているお店はほとんどありません。美術品の鑑定は、鑑定専門機関が有料でおこなうほど、慎重で重大なもの。決して、店頭で簡単に「これは本物です!」と言えるようなものではありません。
鑑定は、時代考証や素材の検査、作家周辺の人物への聞き込みや各種調査など、多岐にわたる要素を経て「本物である」と判断するに至ります。それだけの裏付けを取るためお金もかかりますし、だからこそ真作であると断言できて鑑定書の発行も可能なのです。そのため実は「鑑定不可能」でお返しされたり、インテリアとしての価格を提示された場合は、実はその買取店が正直なお店である証拠。いきなり具体的な値段を回答したお店は、損をしない安い金額を提示している可能性があります。その場合はいったん保留にして、有料でも鑑定機関に回したほうがいいかもしれません。店舗によっては、いったん預かって鑑定機関を通し、金額を提示してくれるお店もあります。しかし鑑定は有料で、ものによって金額も高額になる場合があります。そのため「金額の査定だけ、無料で」という気軽な依頼を受けることはできません。
証明書やお客さんのお話の信頼性などから、本物の可能性が高いものを売っていただく前提でお預かりして、査定額から鑑定料を差し引く形になるかと思います。それがマイナスになってしまいそうな場合、つまり鑑定料がお品物の推定販売額を上回ってしまう場合は、お断りすることになるでしょう。
ですが、そうして持ち込まれる美術品のほとんどは、残念ながら「そうではない」もの。価値がありそうな骨董も、古びただけの旅先のお土産。立派に見える掛け軸も、軸棒がプラスチック製の廉価品。価値がありそうな絵画も、デパートで売っていた複製画……ということが、往々にしてあります。
そのため買取額は、インテリアとしての値段や、類似するものを見て一般流通している中古相場からの計算になるのです。
特に複製画は一般の方が見ると本物のようで、もともとの価格も数万円から数十万円します。しかし何点も制作され、世の中に流通しています。そのためあくまで中古流通相場からの計算になり、購入額は無関係の査定額となるでしょう。よって人気作家なのか、人気の作品なのか、といった観点で相場が決まっていることが多いようです。
博物館などに回っていくような貴重な作家のオリジナル作品は別として、一般流通する美術品の中古流通相場は下火の一途を辿っています。
現在は集合住宅に住む方が多く、インテリアとして眺められるスペースが限られることが大きな要因。家具にせよブランド品にせよ、一軒家で「持つこと」が良しとされていた昭和~平成初期の価値観に対し、「断捨離」や「ミニマリスト」などが着目された平成中期~令和においては「持たない暮らし」の設計が重視されつつあります。
また価値観の変化で、飾りたい絵画や置物の趣味が多様化していたり、何かを飾ること自体を好まない人も増えています。そうした側面も含み、デパートで売っているリトグラフなどは購入額が高くても、中古流通ではその額を基準としない安い相場に落ち着いてしまっています。
以前は「売る」という選択肢もなかった、家にある何気ない壺や花瓶、掛け軸なども「鑑定TV番組」の影響で「貴重品かもしれない」というイメージになってしまいました。
本当に価値があると思うのであれば、東京まで赴いて有料の鑑定を受ければいいのですが、皆さん、近所でお手軽に無料で売れないかと買取店へ持ち込まれます。残念ながらお断りしたり、あるいは有料の鑑定機関の話をすると「どうせ価値はないだろう」とあきらめてしまいます。
もしかしたら、本当に価値があるかもしれません。もちろん鑑定は有料ですが、本当に価値があると思うなら足を運んでみてもいいのではないでしょうか。機関によっては「これなら価値より鑑定料のほうが高いと思うから、やめたほうがいいよ」と言ってくれる場所もあるようです。
「もしかしたら……」という「思い」を残したままでは、ずっと引きずってしまいかねません。
断捨離に一番必要なのは「思いを捨てること」と聞きます。大切に使ったから、もったいないから、高くなるかもしれないから……そういった「思い」が、物を手放すこと自体を食い止めてしまうそうです。ひとつの選択肢として、買取店でのインテリアとしての査定ではなく「正式に鑑定に出す」ことも視野に入れるといいかもしれませんね。